小泉信三「海軍主計大尉小泉信吉」

最近読んだ訳ではありませんが、大好きで何度も読み返してる本です。明日三田の慶応図書館で開催中(5/8~21)の小泉信三展に行く予定で、何となく思い出してこの項を書き始めました。

まだ学生の頃、神戸の実家に帰省中、作家の故井上靖さんの講演を聴く機会がありました。その時に井上さんが「美しい文章」の例示として揚げられたのがこの本でした。

慶応の塾長だった小泉さんは、大経済学者であり、今上天皇のご養育係であられ、私の尊敬する良識人でもあります。長男の信吉さんを先の戦争で亡くされ、ご自身も空襲で顔などに大火傷をされました。戦後その息子の信吉氏を偲んで綴られた文章を、私家版として身近な方に配られたのですが、読んだ方があまりの素晴らしさに正式に出版を強く勧めた結果、漸く日の目を見たという経緯だったと思います。

井上靖さんという作家ご自身が、「敦煌」や「天平の甍」や「孔子」等、端整で趣のある素敵な文章を書かれる方ですから、その方が推奨する本に間違いのある訳がありません。読んでみたら本当に素晴らしく、私の座右の一冊となりました。最愛の息子の信吉氏を亡くされ、悲しみの底にいながら、信吉氏の思い出や家族の出来事を、思いつくまま抑制の効いた文章で淡々と綴っておられます。無駄や誇張ががない簡潔な文章で、それが心地良く美しく感じられます。感情を抑えた文章によって、一層深い悲しみが読む者に伝わってきます。それは決して著者の意図したものではない筈ですが、事実を伝えようとする簡潔で飾らない文章が、美しく更に深い感情まで伝えることが出来る、というのをこの本によって知りました。この本も素晴らしいですが、それを伝えて下さった井上靖さんも名講義だったと思います。

初めて読んだのは学生の時で、その時は息子の信吉氏の立場で読んで感激していましたが、数年経って結婚し子供も出来てから読み返すと、親であり著者である信三氏の立場で読んでいる自分に気付きました。それは学生の頃読んでいたのとは異なる感動で、親の子供への深い思いがより一層感じられ、改めて別の角度からこの本の素晴らしさを味わった記憶があります。

それから30年余、この本を手本に文章を書くよう心掛けてはいるのですが、気持ちだけでは駄目なものですね。努力か才能か、ブログの自分の過去のコメントなど読み返すと、美しさは求めるべくもなく、そもそも正確に言いたいことが伝わっていないような文章が多くて愕然とします。日暮れて道遠し。明日小泉信三展を拝見して、何か少しでも学べたらと思います。
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by nakayanh | 2008-05-14 02:22 | 読書