節電について考えたこと

計画停電が始まって三日経ちましたが、我が家は未だ実施区域に入らず貢献できていません。
Ⅰ~Ⅴグループの内の該当グループの一部が実施されるということで、慣れればそれはそれで
当初は無計画に見えたのも、一つの秩序なのかも知れません。停電になるグループに該当する
時間帯は何時停電になっても困らないように準備しておけば良い訳ですから。

一昨日15日松戸の図書館にいた際、午後1時前に停電になりました。いつもは設備の整った
金町の図書館に行くのですが、何時余震が来るかも判らない中、自転車で葛飾大橋を渡るのが
不気味で松戸にしたものです。事前に係の人が「12:20から停電になります。暗くて暖房も
消えますがご辛抱下さい。」と知らせてくれていたので、心の準備は出来ていました。その時刻に
なっても電気は消えず、なあんだと思っていたら、12:50に停電になりました。でも窓の明かりが
あるので全く不自由はありません。朝コンビニで買っておいたサンドイッチの昼食(商品の入替
時刻だったか買占めによるのか判りませんが、おにぎりはなかったのです)を食べて、1時過ぎ
図書館を出ました。自宅へ帰る途中の道は信号が消えていましたが、これも不自由は感じません。
信号があると車は黄色で余計アクセルを踏んで突っ込んできますが、信号が無いとどちらの方向の
車も自ずと徐行して譲り合い、却ってスムーズです。特に歩行者や自転車が優先され快適です。
大きな交差点では警官が慣れない手信号で交通整理してくれますから、これも左程渋滞しません。
要するに信号が多過ぎるのです。それが弱い人への労わりのない車優先の非人間的社会を
生み出しているのです。しかも、車の青信号が歩行者用の青信号より遥かに長い時間で、速度の
遅い人間が必死で渡らなければならないなんて笑止千万、人間軽視です。あろうことか車社会は
歩道橋なんて言う非人道的なものまで編み出しました。お犬様優先の綱吉の発想です。
以前赴任していたイギリスの郊外や生活道路では信号は殆どありませんでした。交差点は
ラウンドアバウトという右回り右優先のルールがあり、ゼブラクロッシングという横断歩道では
歩行者優先が絶対、どんな車でも人が渡っていれば必ず止まります。横断歩道手前でアクセルを
踏む日本とは大違いです。大人しく秩序正しい?日本人が、車を運転すると人格が変わるのは
何故なんでしょうか。

自宅では節電を心掛けるようになりました。リビングの明かりも昼間は点けず、夜間は半分に
減らし、暖房は全く点けない。テレビもニュースを知りたい時だけ点ける。今はどの局も
地震関連の同じようなオールドニュースを何度も繰り返し、その合間にACの退屈極まりない
CMが繰り返し流れているので、テレビを観る必要が殆どありません。余震の時や緊急警報時、
7時のニュース時等で十分です。それで少しも困らないということは、今まで如何に安易に電気を
消費していたことかということです。PCでこの雑文を書き込むこともエネルギーの無駄遣い
かも知れません。

昨日は三日振りに通っているスポーツジムが開いたので、トレーニングに行きましたが、
マシンを使っての筋トレは良いとして、エアロバイクを漕ぎつつ、これは電気の無駄遣いでは
ないかとちょっと悩みました。でもそれだとジムの会員でいること自体が無駄なことだし、
そうやって無駄?を排除して行くと、どんどん経済活動そのものがシュリンクして縮小均衡に
陥りかねません。欲望資本主義の様な野放図な経済成長は良くないとしても、無理のない
安定的な経済成長(sustainable economic growth)は豊かな社会の為に必要とも思います。
この辺のバランス感覚はどうすれば良いのか迷うところですが、要は、今の時期は不要不急の
事柄については、ある程度の自粛が必要ということなのでしょう。

こんな拙文を書く為にPCを使うのも電力の無駄遣いだとすると、これを読んで下さっている
あなたも・・・!?。でもどんな時でも人間は多少の遊び心が精神衛生上必要ですよね。
さて今日の我が家はもう直ぐ、9時過ぎから計画停電の担当グループです。
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by nakayanh | 2011-03-17 09:05 | つれづれ