吉村昭「彰義隊」

吉村昭という人は実に地味な作家で、歴史上の人物の生涯を長編で絢爛豪華に
描く司馬遼太郎と異なり、歴史上の一事件等歴史の一こまを丹念に描くことが
多いようです。「桜田門外の変」など、淡々とした書き振りの中に井伊直弼
襲撃の場面が迫真の筆致で描かれており、正に名作と言えましょう。

幕末に上野の山に立てこもった「彰義隊」は僅か一日で朝廷軍に敗れ去り、
とても小説にはなりにくい、と吉村さんは考えていたようですが、その時
彰義隊に守護され、その敗戦と共に東北に落ちていった上野寛永寺の
山主であった輪王寺宮に焦点を当てれば小説になると思い立ったそうです。

彰義隊の場面はごく僅か、後の殆どは輪王寺宮の敗走の記録と言えます。
それを何故「彰義隊」の小説名にしたかと言うと、彰義隊の戦いを契機に
朝敵となった輪王寺宮の心の傷は深く、維新後もその傷を負い続けたためです。
ドイツに留学後過去の汚名を晴らすため、日清戦争に近衛師団長として従軍、
台湾で病死すると言うあっけない悲劇の結末です。維新後の宮の余生は
贖罪の日々ともいえるものでした。吉村さん独特の淡々とした語り口、
派手さはないけど思わず引き込まれていく心地良さ。

輪王寺宮の逃亡を命懸けで助けた人々の誠実さにも心が惹かれます。
ほんの百数十年前の人々はどうしてこうも
自分を殺して人のために尽くすことが平気で出来たのでしょうか。
物質が豊かになることが人間にとって本当に幸せか、それと引き換えに
何か大事なものを失っているのではないかとも考えさせてくれる小説です。
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by nakayanh | 2009-06-11 01:12 | 読書