Qちゃん引退

10月28日にQちゃんこと高橋尚子選手が現役引退を表明しました。日本の女子マラソンを高速化させ、一気に世界のトップに導いた大スターで、しかも走ることに悲壮感を漂わず、マラソンは楽しいものだというイメージを我々に植え付けてくれた功労者です。マラソンのイメージを一新させてくれたと言って良いでしょう。

初めて優勝した彼女の二度目のレース、98年3月の名古屋国際は、テレビで見た筈ですが記憶にありません。鮮烈に覚えているのはその次の98年12月のバンコック・アジア大会です。参加選手は10数人だったと思います。30度近い猛暑の中、スタート直後から一人飛び出し、2:21でぶっ千切って優勝しました。最初飛び出した時、そのあまりの無謀さにテレビに向って「馬鹿、こんなペースで最後まで持つ訳がない。抑えろ!」と怒鳴ってしまいました。しかし彼女は40K辺りまで殆どスピードが落ちることなく突っ走りました。我々の常識を完全に覆すレース運びで度肝を抜かれました。

それ含めマラソン6連覇、その中に00年9月のシドニー五輪、01年9月のベルリンでの世界女子初の2:19台の輝かしい記録があります。あの辺りが彼女のピークだったのでしょう。

最も惜しまれるのは2:20を切り、世界新を出した翌週のシカゴを走る予定だったのに、常に馬鹿な決定をする日本陸連の横槍で出場を取り止めました。全く勿体無い、素晴らしい実験だったのに。

我々市民ランナーは2週続けてフルを走ることなど、日常茶飯に近いことです。その間の祝日にハーフを走ったこともあります。タイムはそれ程落ちる訳ではありません。それと同じことをトップランナーのQちゃんがやると言い、小出監督も走らせたかった。トップランナーが一度作り上げた体を解いたら、再度作り上げるには6ヶ月程度掛かるでしょう。それならレースの後体を解かず、翌週次のレースを走るとどうなるか、やってみる価値は十分あります。どうせ練習で毎日4,50キロ走っているのです。決して無茶ではありません。走っていればどんな記録が出ていたでしょう。翌週のシカゴでQちゃんの記録は塗り替えられたのですが、一緒に走っていたらどんな結果だったでしょう。マラソン界にとっては素晴らしい壮大な実験でした。それを陸連が止めさせたのです。凡人の経験に基づく常識でしか発想できない陸連幹部の馬鹿さ加減にあきれます。小出ー高橋が次々快挙を成すことに嫉妬した可能性もあります。いずれにしろ狭量としか言い様がありません。日本陸連の狭量さによって、日本のマラソン界は取れる筈の多くのメダルを失ってきました。

05年に小出監督から離れ、自らのチームで練習してきましたが、既にピークは過ぎていたのだと思います。03年11月の東京国際女子の失速辺りで既にその兆候は見えていました。でも小出の下でやっていれば新記録は無理でも、コンスタントに2:22,3分では走れ、まだまだトップランナーでいられたような気がします。自分のチームで自分をマネージするのは、将来のためには良い経験ですが、ランナーとしては無理があったのではないかと思います。どうしても甘くなってしまうでしょうし、周りも部下だから厳しいことは言えない。客観的な判断も難しかったと思います。

技術的なことはよく判りませんが、何と言ってもあの無駄のないピッチ走法が見事でした。有森さんも典型的なピッチ走法ですが、Qちゃんの方が腰の位置が高くてカッコいいのです。腰が高い分ストライドも大きくそれだけ速いのでしょう。野口みずきさんは鍛えに鍛えた体での力強いストライド走法ですが、如何にも無理があり、長くは続けられないように思います。

佐倉マラソンでは毎年応援に来てくれ、レース中いつの間にか隣を走っていてハイタッチをしてくれたことも有ります。千葉マリンハーフでは市民ランナーににこやかに手を振りながら1:08台で走り切りました。皆に愛される明るく強いエリートランナーでした。これからの彼女がどんな生き方をしていくのか楽しみに見守りたいと思います。
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by nakayanh | 2008-11-01 04:29 | スポーツ